あの時、私は週末のオープンハウスの準備の為、物件の近所に看板を設置していました。
神戸に住む、先輩から「テレビ見た?さっきの地震凄かったよ、宮城が大変な状況だと思うよ」と言われ、仙台に住む妹に電話。
「地震は凄かったけど、停電で電気は来てないが大丈夫。」との返答に安心し、普通の業務に戻り、仕事をお終わらせ帰宅。
すると、テレビの画面から飛び込んできた映像は、慣れ親しんでいた仙台空港の映像、津波に何もかもがのまれていく。
すぐ近所には妻の友人の家も…
そこには生まれたばかりの子供もいる…
すぐに、妹、弟、母に連絡するが電話はつながらない…
妻の母も仙台にいる。
連絡はやはり取れない…
1週間後、やっとみんなの無事が確認できました。
しかし、親戚、友人安否が確認できない人は数えきれない…
できることは限られる、奉仕団体のみんなと街頭に立ち、募金の呼びかけ、多くの方の温かいお気持ちを頂きました。
4月に入り、フェリーが就航、何ができるわけではないが家族に会いに宮城へ向かう。
高速を降り、山を越え、故郷に入る。
瓦礫の山と無くなった街が目の前に現れました。
目から涙があふれ出る、止まらない‥‥
今でも鮮明に見える無くなった街の風景。
あれから10年が経ちました。
1年前に帰省した街は、昔からは大きく変わりましたが、通常の生活が戻りつつあります。
しかし、あの時、思った家族との絆、大切さから、「何の為に生きていくのか?」「家族で笑顔溢れる人生を送る為」だと強く思いました。
3月11日が来るたびに、この気持ちを振り返り、私たち「アールスペース」の不動産という事業を通し、経営理念「共存共栄」のもと、多くの皆様の「幸せ」に貢献できる企業になりたいと心から思います。